原爆地・広島
原爆投下の1週間前の7月30日、スティムソン陸軍長官は、日本に原爆を投下した直後に出すトルーマンの新聞発表の草案を書いた。イギリス政府はこの草案を読んで、小さな修正(意見)を2点加えただけだが、ジェームス・F・バーンズ国務長官は全面的に書き改めた。
広島、8月6日、午前8時15分、快晴、気温27度。アメリカ空軍爆撃手ポール・ティベッツに操縦された「Enola Gay」(ティベッツの母親の名前)と名付けられたB29(ボーイング社製作)が1機、上空に現われた。高度9600メートル。
ゲイの「腹」が開き、「Little Boy(少年)」と暗号名を付けられた原爆が落下傘を付けゆっくりと降りてきた。エノラ・ゲイは全力で、猛スピードで上昇する。Little Boy との距離を開ける。
ウラニウム製の Little Boy は身長3メートル、体重4082キロ。603メートルまで降りてきた。
肉眼でも見えた。ピカッと走った閃光が網膜を焼き、ドーンと大爆発の余韻が消える前に、広島は消えた。爆心地から、巨大な煙の塊が1万2000メートルまで上がっていった。
15分後、ティベッツは、「原爆、全ての面で大成功。実験よりも圧倒感あり。機内、異状なし」とホワイト・ハウスの「マップ・ルーム(戦略室)」に打電した(エノラ・ゲイは、2001年からワシントン郊外のダレス国際空港の博物館に永久保存される)。
30分後、黒く強い雨が、降り出した。爆心地に近いほど、豪雨であった。雨は、焼け爛れた肌を癒すかのように降り続け、息の残っていた人たちは街の真ん中を流れる河に這って辿り着き、ゆっくりと瀬戸内海へと流されていった。
「ヒロシマ」が原爆の代名詞となってゆく。
20万人の市民が殺された。
トルーマン声明
16時間後、トルーマン大統領は「日本は真珠湾において、空から戦争を始めた。今、彼らは何倍もの報いを受けた。それは原子爆弾である。それは宇宙の力を使用したものである。太陽の源となっている力が、極東に戦争を齎した者に向かって放たれた」と声明を出した。
日出ずる国は太陽によって懲罰されたのか。
トルーマンは、「日本国民を完全な破壊から避けさせるためにポツダム宣言を日本政府に出したのだが、日本の指導者はその最後通牒を拒絶した」と言い、「もし彼らが今すぐ我々の要求を受け入れなければ、さらに破滅の雨を浴びることになろう。それはこの地球上でかつて想像もしなかったようなものである」と警告した。
大本営発表
8月7日、午後3時30分、大本営は、アメリカが「新型爆弾」を使用したと発表し、さらに次の見解を付け加えた。
「敵米国は日頃キリスト教を信奉する人道主義を呼称しながらこの非人道的残虐を敢てせることにより未来永劫〝人道の敵〟の烙印を押されたもので彼の仮面は 完全に剥げ落ち日本は正義において既に勝ったというべきである。敵は引続きこの種の爆弾を使用することが予想されるがこれにより決して正義は挫かれない。1億国民はいよいよ戦意を昂めるであろう」。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。