神風特攻隊
私は、ワシントン大学に在学中、「日米外交史・第2次世界大戦」のゼミをとり、アメリカ海軍水兵たちの「回顧録」を10冊ほど読んだ。「神風特攻隊」の記述を読んだ。どの水兵も同じことを語る。恰(あたか)も同じ航空母艦に乗っていたかのように......。
アメリカはレーダー探知器を持っていた。レーダーに「点々」が現われる。神風はまだ肉眼では見えない。しかし、その点々の方向に全ての機関銃を、全ての対空砲を、撃ち始める。10機ぐらいの神風が肉眼に見える。まっすぐ航空母艦に突っ込んでくる。水兵たちは、気が狂いそうな恐怖に震えながら、機関銃を撃ち捲る。殆どを30分ぐらいで撃ち落とす。
だが、時折、1機だけが幾ら機関銃弾を浴びせても落ちない。
銃弾の波間を潜り、近づいてきては逃げ、そしてまた突っこんでくる。日の丸の鉢巻が見える。祖国のために死を覚悟し、己の誇りと勇気に支えられ、横殴りの嵐のような機関銃の弾雨を見事な操縦技術で避け、航空母艦に体当たりし撃沈しようとする恐るべき敵に、水兵たちは、深い畏敬と凍りつくような恐怖とが入り交じった「感動」に似た感情を持つ。
命を懸けた死闘が続く。
ついに、神風は燃料が尽き、突っ込んでくる。その時、撃ち落とす。
その瞬間、どっと大歓声が湧き上がる。その直後、耳が裂けるような轟音を発していた甲板上がシーンとした静寂に覆われる。
水兵たちはその素晴らしい敵日本人に、「なぜ落ちたのだ!?」「なぜ死んだのだ!?」「これだけ見事に闘ったのだから、引き分けにして、基地に帰ってくれればよかったのに‼」と言う。
アメリカ水兵たちの感情は、愛国心に燃えた1人の勇敢な戦士が、同じ心をもって闘った戦士に感じる真の「人間性」であろう。それは、悲惨な戦争の美化ではなく、激戦の後、生き残った者たちが心の奥深く感じる戦争への虚しさだ。あの静寂は、生きるため、殺さなければならない人間の性への「鎮魂の黙祷」であったのだ。
硫黄島の戦い
アメリカ軍は圧倒的な進攻を続け、36日間の壮絶な戦いの末、1945年3月26日、硫黄島を陥とす。
死守しようとした日本兵、1万9000人、玉砕。アメリカ兵、6800名、戦死。アメリカの海兵隊が英雄扱いされる転機になったほどの激戦であった。
アメリカ・アーリントン国立墓地の北側に、硫黄島の「摺鉢山」を日本兵から戦いとった直後(2月23日)、アメリカの国旗「星条旗」を雄々しく打ち立てた海兵隊員を称え、また慰霊するためのブロンズ製の記念碑が建っている。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。